僕は、生涯を通して「孤独」を苦痛として感じたことがありません。
なぜかというと、僕は、自分の中に複数の「個性」が存在していると感じているからです。
誤解のないように、少し丁寧に説明します。たとえば漫画家さんなど、クリエイターの世界においては、しばしば次のような会話がなされることがあります。
「お前、うらやましいよ。心の中に女を飼ってるもんなあ」
この会話について補足すると、おそらく、この話し手は男性であり、作家としての必要性からリアルな女性像を描く能力を欲している。だが、自分にはそうした素養がないことを自覚しており、その素養を持つであろう相手に対して「うらやましい」という心情を吐露している、という関係性です。
もちろん、これは性別が反転しても同じ文脈で成立する観点です。つまり「いいよねえあんた、心のなかにイケメン飼ってるもんねぇ」も成り立つ。
前置きが長くなりましたが、僕が今回の記事で話している「自分の中に複数の個性が存在する」とは、こうした、比喩的な意味です。
さて、僕の場合ですが、たとえば、不安を和らげる。励ます。注意を喚起する、そういうイメージとして複数のキャラクターが会話している感じです。
たとえば、何か大きな失敗をやらかしてしまったときは、こんな会話が僕の頭の中で繰り広げられています。
「お前、ダメじゃん。つうか何回目だよ。いいかげん学べよ」
「はい。そうですね。そうですね。ホントそのとおりです。すいません」
といった会話が、頭の中で行われています。
他には、車を運転している最中、
「おい、後ろにいる軽のじいさん、周りが見えてないぞ。気をつけろ」
「マジか、危ないな。ありがとう。先に行かせるよ」
もう一つ具体例をあげると、これは僕だけではなく発達障害当事者には珍しくないことのようですが、過去の強烈にネガティブな体験のイメージが脳内に突然、沸き起こってしまうときがあります。いわゆるフラッシュバックというものですね。
強烈なネガティブな記憶がよみがえるとき、
僕の中では「怯える犬のような自分」と、
その犬をなだめる自分がいます。
「大丈夫だよ。もう終わったことだよ」
「ここは安全だよ」
そんなやり取りが、自然に起きています。
これ以外の局面においても、枚挙に暇がありません。
最初にも説明した通り、自分の中に複数の個性が存在している、といっても、これは精神医学の分野で用いられている医学的診断名である「多重人格(解離性同一性障害)」などではありません。僕はそのような問題を抱えてはいません。
こうした背景から、僕は生涯を通して「孤独」を苦痛として感じたことがありません。
新し目の若者言葉として「ぼっち」という表現があります。とりわけ若い人たちは、この「ぼっち」になることを極端に恐れるが多いと聞きます。僕は物書きですし、人間という存在そのもの、そしてその営みには並々ならぬ関心を持っていますので、なぜそこまで「ぼっち」になることを恐れるのか、その気持ちはコンテクストとしては理解できるつもりです。
僕は、生涯を通して、
一人でいることを「孤独」として
苦痛に感じたことがない。
若い人たちが「ぼっち」を恐れる気持ちは、
頭では理解できます。
でも、心の深いところでは、
たぶん理解できない。
僕は、ずっと、
一人でいるときでさえ、
一人ではなかったからです。


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