ASDとADHDのあいだで暮らす

僕は発達障害当事者で、
ASD(自閉スペクトラム症)と、
ADHD(注意欠陥・多動症)の両方の特性を持っています。

このことについては、いくつかの記事でも述べていますが、
今日は具体的に、僕の頭の中でどんなことが起こっているのか、
言葉にしてみたいと思います。

ピンチハンガーをめぐる対立

まずは、生活における日用品から例を一つあげます。

洗濯物を干すための製品として「ピンチハンガー」というものがあります。
金属またはプラスチックの枠組みに、たくさんの洗濯ばさみがついている、あれです。

ASDの僕は、とにかく耐久性にこだわる。
長く使えること、ふいに壊れたりしないこと、紫外線で経年変化しないこと。

ふいに洗濯ばさみが壊れたり、ピンチハンガーの枠が折れたり、普段とは違った角度からふとピンチハンガーを見たときに、ある部分が変色していたりすると、
それはASDの僕にとっては、ちょっとした非常事態です。
軽いパニックに陥る。

といっても、ピンチハンガー程度のことであれば、ことはそれほど深刻ではありません。
若い頃はこんな余裕も持てませんでしたが、年齢を重ねた今となっては、まあなんとか対処できるレベルのパニックと言えます。

ですが、こういうことが起こると、嫌な気分は、
もしかしたらその日一日、続くこともある。
これは、ASD特性は日々のルーティーンを変化させられることに対して大きなストレスを感じてしまうからだと思われます。

なのでASDの僕としては、ピンチハンガーは丈夫なステンレス製、一択となります。
プラスチック製のものは、だいたい一年も経てば紫外線によって表面が白っぽく変化していきます。

そして早いものだと二年を待たず、洗濯ばさみがポキポキと折れだす。
「この製品の寿命は一年程度ですよ」と記載してあれば買い替えの予定も立てられますが、そんなことは書いてないのが普通です。

このようにして、ASDの僕は洗濯ばさみが割れるたびに、心を激しくざわめかせているのです。

いっぽう、そうしたとき、ADHDの僕も同時に存在しています。

ADHDの僕は「いつものルーティーン」を繰り返すこと、変化のない日常を強いられることについて、常にいらだちを感じ「こんな決まり切った生活ばかりじゃ息が詰まる」と文句を言い、なにかに付け変化を起こそうとする。

こんなADHDの僕にとって、ピンチハンガーの洗濯ばさみがポキリと折れ、使用に耐えなくなったタイミング、それは待望の「変化」を告げるファンファーレとして感じられます。「ドラゴンクエスト」を知らない方には伝わらない例えだと思いますが、ADHDの僕の中ではこのとき「ロトのテーマ」のトランペットやホルンが鳴らされ「さあ、冒険の始まりだ!」といった感情が呼び起こされています。

「よっしゃ!これはもう寿命だ!」
「新しいのを買おう!次はどんなのを買おうかな」
などと、ワクワクしているのです。

だから、ADHDの僕にとっては、ピンチハンガーは適度な期間で突然に壊れてくれて、退屈な日常に刺激をもたらしてくれる、プラスチック製、一択なのです。

ここで、もうおわかりと思いますが、
僕の中にいるASDとADHDそれぞれの特性の利害は、完全に衝突します。

「どう暮らしたいか」
「何をもってワクワクするのか」
こうしたことが、真逆と言ってもいいからです。

こうして、頭の中での激しいバトルの結果、
ピンチハンガーのケースに限って言えば、ASDの僕が勝利するのが常です。
だから、うちのピンチハンガーは、長きにわたってステンレス製がその座を占めています。

ADHDの僕は不満を鳴らすが「これは結果的に君のためにもなるんだから」などといった論理で説得しています。

引っ越し

ピンチハンガーの話が少々、長くなってしまいましたが、
ASDの僕とADHDの僕との間の主権を巡るケンカが表面化しやすいことといえば、
引っ越しが挙げられます。

ASDの僕は、新しい環境が苦手です。

引っ越したあとにつきものである、新居のための買い物。
カーテン、ガスコンロ周りのカバーなどを買わねばならない。
必要なものを全てメモして、新居近くの百均やホームセンターに行く。
でも、そういうとき、僕はたいてい、何も買えずに帰ってくるのが常です。
なぜなら、新しい環境に対応できず、頭の中がちょっとしたパニックを起こすから。

外見からはまったくわからなくても、僕の内心は激しく混乱している。
だから「今、買い物をしたら、ベストな選択ができないのでは」という不安が生じてくる。
その結果、僕は何も買うことなく店を後にし、カーテンのない部屋で、あまり眠れない初日の夜を過ごしたりする。

事前にWebで店舗のマップを確認し、何度も頭の中でシミュレーション、つまり「予習」をしてから臨んだとて、それはほぼ役に立たないのが常です。

「引っ越す前に必要なものを揃えておけばいいのでは」と思った方もおられるかもしれません。
しかしここでも、主権を巡るバトルがあります。
ASDの僕が「事前に買っておこう」と提案しても、ADHDの僕は「何バカなこと言ってんだよ!新しい土地を探索しようぜ!」と反論してくる、ということです。

こうして、僕が新しい生活エリアにおいて、まともに買い物ができるようになるのは、たいてい二回目や三回目の来訪時になってからです。

言うまでもなく、これは生活上の大きな制約です。
しかし、ASDの僕は、慣れ親しんだ場所に、毎回同じように、変化なく、接したいのです。
いっぽう、ADHDの僕は、新しいものが大好きで、常に変化を求めています。

定型発達者か、あるいは発達障害当事者かを問わず、多くの人にとって変化はストレスでもあるそうです。だから「人生の大きな節目と引っ越しは同時にしないほうがいい。ストレスが過大になるから」と警鐘を鳴らす人もいます。

ですが、ADHDの僕は、変化というストレスを前に、心が浮き立つ。
ストレスがかかるほど、頭は冴え渡り、物がハッキリと見えるような感覚に包まれる。これは「多幸感」と言ってもいいかもしれない。
ですがもちろん、その間もASDの僕は「もう勘弁してくれよ」と嘆いているわけです。

この「引っ越したい欲求」の場合は、たいていADHDの僕が勝ちます。
ASDの僕は「またあの『新環境における苦行』を強いられるなんて耐えられない」と泣きますが、けっきょくADHDの僕に押し切られる、というふうに、僕はイメージしています。

「バランス」ではなく「交渉」なのかもしれない

ここまで言葉にしてきて思うことがあります。
それは、僕の中のASDとADHD特性は、
決して調和しない、ということです。
そしてそれは、妥協とも違う。

毎回、交渉と取引を必要とする。
これは言い換えれば、
「人格内政治」や「内心内閣」とでも表されるものかもしれない。

言うまでもなく、この対立構造は著しく心身を疲労させます。
他人から見れば、
ただの買い物、
ただの引っ越し、
でも、内側では、
パニック、
高揚、
両者のせめぎあい、
説得、
消耗、
が、起こっています。

おわりに

ASDとADHDの特性が同居しているとは、僕にとっては、
常に二つの地図を持ちながら暮らしているようなものかもしれない。

どちらの地図も正しい。
でも、それらを同時に使うことはできない。

その都度、選び、進み、
それを生活と読んでいるのかもしれない。

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