人生の進度が遅かった僕が、120歳まで生きると決めた理由

僕は、冗談抜きで120歳まで生きたいと思っています。

ですので、可能な限り、丁寧な生活を心がけています。

今日は、120歳まで生きることを決めた、僕の毎日の生活と、
なぜ僕が120歳まで生きたいと思うようになったのかについて、
言葉にして置いていきたいと思います。

僕の生活

筋トレ

筋トレ(ウエイトトレーニング)はだいたい週に4日程度行っています。筋トレは通算で30年以上継続している趣味です。ボディビルに代表されるボディメイクのための筋トレを行っています。

有酸素運動

有酸素運動は週に3日程度行っています。有酸素運動を習慣的に行うことは中年になってから始めました。
もう少し若いころには外を走ることもしていましたが、僕は身長が平均よりも高く、かつ筋トレをしていることにより体重も重いため、膝へのダメージ蓄積を懸念し、現在では室内でエアロバイクなどの運動をメインに行なっています。

僕は発達障害と、二次障害である双極性障害の当事者でもあるのですが、有酸素運動を継続することでメンタル面での安定効果も感じられています。

食事

僕の食事は、ボディビルダーなどのボディメイク競技を行っている人々の食事をベースにしています。
低GI食品、
PFCバランスを考慮、
食物繊維(腸内環境の重視)、
などを意識して食事内容を構成しています。

その他、水溶性ビタミンや、免疫力に大きく影響するとされる亜鉛などはサプリメントで補っています。

一週間のうち6日は、鳥のささ身、魚、卵、野菜、麦飯といった食材で固定し、調理法だけを変えた食事を継続します。

そして一週間のうち一日だけは、その時、食べたいものを食べます。
これは、鶏の唐揚げ、ハンバーグ、牛肉のステーキ、寿司、ピザや菓子パンにいたるまで、その時食べたいものを食べます。ダイエット理論などで取り上げられる「チートデイ」とはちょっと異なり、大量に食べることは目的としていません。その日の気分で、一番食べたいものを選んで食べるようにしています。

ここで重要だと感じていることは、週に一度のいわば「解禁日」が待ち遠しくなるようなら、
それは、なにかが間違っている、
普段の食事が楽しめていない、
つまりは自分を追い込みすぎている、
こうしたサインだと僕は解釈しています。

だから、普段の食事、普通の人の感覚からすれば「ストイックすぎる」と感じられる食事についても、可能な限り「美味しいものを食べる楽しみ」を追求するよう心がけています。

断酒・断煙

若い頃は酒もタバコもたしなんでいましたが、今はすっかりやめています。

睡眠

僕は若い頃からとても早く寝る方でした。最も遊びたい年頃でも、だいたい夜の11時には寝ていました。今では夜の9時台に寝ることも少なくありません。夜ふかしや徹夜は、ただでさえ生来の特徴から突発的な疲労に悩まされる僕にとっては、心身へのダメージが大きすぎるのです。

そして僕は朝も早起きです。最近は朝の6時に起きるようにしています。

なぜ120歳まで生きるのか――「0.6俗説」

まず強く申し上げておきたいのは、この章で僕が言葉にすることは、あくまでも俗説に過ぎず、科学の世界で広く信じられている事実ではありません。

あくまでも、僕個人が考えていることを言葉にしただけの内容です。

以上をふまえて、

「発達障害当事者の心の年齢は定型発達者よりも若い傾向があり、実年齢に0.6をかけたくらいだ」

という俗説があります。

繰り返しになりますが、これはあくまでも俗説であり「そんなわけはない」と、一顧だにしない人も多いでしょう。それはそれでまったく問題ないのです。発達障害当事者といってもそのありようは様々であるし、また本人がどうありたいと願うのか、どのように社会から理解されたいのか、といった立場においても異なるでしょう。「実年齢よりも若く見る」というフレームに対して安心する人もいれば、逆に不安・不快な気持ちになる人もいるはずです。

なお、この記事で僕は「心の年齢」については、
「人生の進み方」
「主観的な成熟の感覚」
などといった言葉としてとらえています。

さてこの「0.6俗説」ですが、自分自身に当てはめて考えてみると「当たっていないとは言い切れない」と感じてしまう。

たとえば、僕が18歳のときです。
18歳の男子といえば、異性への関心、恋愛への興味も非常に高まっているとされる年齢です。
環境にもよることだとは思いますが、周りの同級生たちには、とっくに恋愛のパートナーがいてもなんら不思議はない年頃でしょう。

ですが、18歳の僕にとって、女性というものはとても不可解で、理解できない、ある意味で怖い存在でした。これには、僕がいわゆる「毒親」である母親のもとで育ったことも影響していると思います。ですのでこれは、発達障害に共通してみられる現象というわけではないでしょう。

この、僕の中の、女性に対するなんとも言語化しがたい感覚は、強度は徐々に下がれども、二十代の半ば頃まで続きました。その間は、女性から好意を向けられても「やめてよ!」といった強い拒絶の態度を取ってしまったり、あるいは徹底的に避けてしまう、つまりはその場から逃げ出してしまうのが常でした。あるいは逆に「気取っている」「壁を作っている」などと誤解されたことも多々あったのではないかと思っています。

これは「申し訳ないことをした」とも言えるし、男性としての率直な情感として表現すれば「もったいないことをした」とも表せるでしょう。

女性は怖いと感じていた18歳の僕は、女性からアプローチされても、どうしていいかわからなかった。そうしたとき、僕の頭の中はパニックになり、それは拒絶の意思表示として表出していました。それは「やめてよ!」という痛ましい心の叫びです。

「0.6俗説」にのっとり、18に0.6をかけると、四捨五入して11歳なわけですが、11歳の少年だとするなら、まあそういうこともありうるかもしれない。幼さゆえ、自分が置かれた状況を受け止められず、拒絶して、その場から逃げることしかできない。

「0.6俗説」を知ったとき、つまりすっかり中年になっていた僕は、当時の僕についてそのように思いおこしたのです。

こうした思考の働きが僕に、この「0.6俗説」を、一顧に値するものかもしれない、と関心を向けさせる最初のフックになったことは確かです。

さらに、20代の頃に限らず、その後の自分の人生を振り返ってみても「0.6俗説」は当てはまることが多いと感じさせられてしまうのです。

たとえば30歳。一般的には、浮足立っていて何も見えなかった20代が過ぎ去り、人生の様々なことについて、そろそろ真剣に、深刻に考える時期、だとされます。
しかし僕の場合、まったくそうしたシリアスさはなかったのが、30歳という年齢でした。
これまた「0.6俗説」を適用すると、30歳は18歳です。そう考えてみると、当時の僕の未熟さ、考えの至らなさにも、不思議と納得できてしまうのです。

20代を、

「何かがわかった気になっているが、
実際には何もわかっていないし、
何も見えていない年代」

と評する意見がしばしば見られます。
妥当な意見なのかどうかは個人差もあるとは思いますが、この考え方を前提として考えてみると、18歳とはまだ「何かがわかった気になる」の手前の段階だと言えるでしょう。実際に30歳の僕もそんな感じだったな、と、当時を振り返っています。

50歳で人生を終えるつもりだった

僕は38歳のとき、ひどく体調を崩しました。
仕事を失い、
当時、学生として在籍していた大学も、退学を余儀なくされました。
そして、あらゆる社会活動からの撤退を余儀なくされた期間が10年以上続きました。

そうした、どん底の期間にあった僕は、実は50歳で人生を終えるつもりでいたのです。

「醜く老いさらばえて弱って死ぬより、美しいまま強いままで死ぬほうが尊い」
そうした人生哲学ばかりがやたらと目に入ってくる。
このとき、自分の人生を50歳で終えようという意志は、僕の中で、ほとんど思想の一歩手前となる段階にまで達していました。

僕はワーキングメモリが弱く、記憶力も優れているとは言えないので、自分について何かを説明する際には「自分年表」が欠かせません。これは表計算ソフトで作成した年表形式のデータです。
生まれてから現在まで、それぞれの年に何があったのかを書き留めたものです

とても辛かった時代の自分年表には、当然のこととして、
50歳までしか行は追加されていませんでした。
そこで僕の人生は終わるのであって、それ以降は何ら意味のないことだから。

転機

そんな僕の人生観が変わるきっかけとなったことは、48歳で発達障害の診断を受けたことでした。

当時の僕は、発達障害については、言葉としては知っており、
「よくわからないが、コミュ障で悩んでる人のことだな」程度の知識しかありませんでした。
だから、自分が発達障害と知ったことで、48年間「これが自分だ」と考えてきたアイデンティティが揺らいだ。ですが、それについてはまた別の機会に述べたいと思います。

48年間の人生を振り返らざるを得なくなった僕は、発達障害についての情報をむさぼるように求め始めました。

そして「0.6俗説」に触れた僕は、次のように考えるようになったのです。

「この俗説が、
自分には、当てはまるとすると、
70歳まで生きたとしても、
心は42歳までしか生きられなかったということじゃないか」

42歳までしか生きられなかった、という事実は、現在の日本においてはおそらく大半の人が「早すぎる」と感じるのではないでしょうか。

続けて僕は、次のように考えるようになりました。

「100歳まで生きたとしても、ようやく60歳、つまり還暦だ。
まだまだやれることがたくさんある年齢なのに」

「120歳。非現実的な長さかもしれない。
だが、それでもまだ、心は72歳までしか生きたことにしかならない。
少なくとも120歳まで生きなきゃ、
人生を生き尽くしたとは言えないんじゃないか」

こうして僕の自分年表には、西暦で表せば2096年、
僕の予定年齢で表すと120歳まで、空白の行が追加されることになったのです。

120歳まで生きたいというのは、
年齢の話ではなく、
人生を途中で終わらせない、という意思表明でもありました。

おわりに

120歳まで生きたい。
これは長生き自慢でも、健康法の話でもありません。

それは、
途中で終わらせてしまった、
あるいは、
途中で終わらせるべきだ、
と思っていた自分の人生に、
もう一度、先を描くことを許す、という決断でした。

僕の生活は、特別なものではありません。
派手な挑戦も、劇的な変化もない。
ただ、今日という日と、できるだけ丁寧に向き合い、
明日を白紙のまま迎えないようにしているだけです。

120歳まで生きられるかどうかは、正直わかりません。
けれど、自分年表の先に空白の行を残しておくことで、
人生はまだ続いていいのだと、
ようやく自分に言えるようになったのかもしれません。

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